自立支援医療制度:心身のお病気の医療費の自己負担額を軽減する公費です。
伊勢神宮の旅二日目です。
前回申し上げたように、もらった写真なので十分ではないですが宜しくお願い致します。
朝はまだ曇り空でしたが、徐々に快晴になり雨上がりがとても気持ちの良い御参拝となりました。
工程表は以下の通りで3時間半を予定していましたが、1時間オーバーとなりました(^^ゞ
宇治橋 → 手水舎 → 瀧祭神(天照大神様お取り次ぎ) → 正宮 → 御稲御倉(みしねのみくら) → 荒祭宮(あらまつりのみや) → 風日祈宮(かざひのみのみや)→ 内宮神楽殿(御朱印) → 大山紙神社(子安神社) → 倭姫宮(やまとひめのみや) → 月読宮 → 猿田彦神社 → おかげ横町 → ホテル

正宮宇治橋鳥居です。空はまだ灰色ですが直ぐに晴れてきます。

五十鈴川を渡ります。

私の方に蜻蛉さんがとまって、お参りに同行するのかと思うほどしばらく一緒でした(*^_^*)

手水舎はこの前にありますが、五十鈴川・・・心身を清める場所です。

瀧祭神、ここは正宮にお参りする前に絶対寄らなければなりません。
正宮ではお願い事をしませんので、この神様にお取り次ぎ頂く所です。

正宮の少し前のパワースポット。以前ガイドさんに教えて頂いた、正宮の本殿が見えるところです。

いよいよ正宮です。4年ぶり・・・ありがとうございます。

内宮御朱印です。

帰り道は右側通行で、宇治橋の西詰北側二本目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められています。
この擬宝珠(ぎぼし)に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると言われています。内宮は 右側通行で帰る際には、最後から二本目となります。皆さんが触るので色が違っていますし、文字が刻まれていますのですぐにわかりますよ。是非これを触って帰ってきてくださいね。4年後を願って触ってきました(^^)

倭姫命は、垂仁天皇の皇女であり、天皇の命を受けて天照大御神の御杖代となり、天照大御神を祀るにふさわしい場所を探して各地を転々とし、やっとのことで伊勢の地にたどり着いた姫である。そして、現在の神宮における様々な祭や儀式の基礎を作った人物でもあるそうです。伊勢神宮創建の一番の功労者と言えるようです。
内宮から少し離れていますので、人も少なくひっそりとしていましたが、とてもパワーの感じるところです。

御朱印です。

天照大御神の弟神、月読尊をお祀りする内宮の別宮。伊邪那岐命が黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大御神、鼻から生まれた須佐之男命とともに重大な三貴神といわれています。
こちらもやっとお参り出来ました。

御朱印です。


猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。-HPより-

方位石=古殿地
拝殿正面に昔の神殿跡を印し、方角を刻んだ八角の石柱があります。昭和11年の御造営まで永く御神座のあった特別な場所です。大神の「みちひらき」の御神徳を表す八角形の石には、願いを掛けてお賽銭がいっぱいです。

御朱印です。

左瑠神社御朱印です。
2Dayのバスフリーパスを買って移動しましたが、京都や金沢と違ってチョット不便・・・。
バスの本数が少ないのと、わかり辛いと、携帯で時刻を検査すると合わないことが多かったです。満員で乗れないことも・・・。
じっくりお参りしたので、1時間オーバーとなってしまい、2時半頃おかげ横町で腹ごしらえ。
すでに2万歩近く歩いています。
次回へ続きます<(_ _)>
いつも1ポチありがとうございます
伊勢神宮の旅二日目です。
前回申し上げたように、もらった写真なので十分ではないですが宜しくお願い致します。
朝はまだ曇り空でしたが、徐々に快晴になり雨上がりがとても気持ちの良い御参拝となりました。
工程表は以下の通りで3時間半を予定していましたが、1時間オーバーとなりました(^^ゞ
宇治橋 → 手水舎 → 瀧祭神(天照大神様お取り次ぎ) → 正宮 → 御稲御倉(みしねのみくら) → 荒祭宮(あらまつりのみや) → 風日祈宮(かざひのみのみや)→ 内宮神楽殿(御朱印) → 大山紙神社(子安神社) → 倭姫宮(やまとひめのみや) → 月読宮 → 猿田彦神社 → おかげ横町 → ホテル

正宮宇治橋鳥居です。空はまだ灰色ですが直ぐに晴れてきます。

五十鈴川を渡ります。

私の方に蜻蛉さんがとまって、お参りに同行するのかと思うほどしばらく一緒でした(*^_^*)

手水舎はこの前にありますが、五十鈴川・・・心身を清める場所です。

瀧祭神、ここは正宮にお参りする前に絶対寄らなければなりません。
正宮ではお願い事をしませんので、この神様にお取り次ぎ頂く所です。

正宮の少し前のパワースポット。以前ガイドさんに教えて頂いた、正宮の本殿が見えるところです。

いよいよ正宮です。4年ぶり・・・ありがとうございます。

内宮御朱印です。

帰り道は右側通行で、宇治橋の西詰北側二本目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められています。
この擬宝珠(ぎぼし)に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると言われています。内宮は 右側通行で帰る際には、最後から二本目となります。皆さんが触るので色が違っていますし、文字が刻まれていますのですぐにわかりますよ。是非これを触って帰ってきてくださいね。4年後を願って触ってきました(^^)

倭姫命は、垂仁天皇の皇女であり、天皇の命を受けて天照大御神の御杖代となり、天照大御神を祀るにふさわしい場所を探して各地を転々とし、やっとのことで伊勢の地にたどり着いた姫である。そして、現在の神宮における様々な祭や儀式の基礎を作った人物でもあるそうです。伊勢神宮創建の一番の功労者と言えるようです。
内宮から少し離れていますので、人も少なくひっそりとしていましたが、とてもパワーの感じるところです。

御朱印です。

天照大御神の弟神、月読尊をお祀りする内宮の別宮。伊邪那岐命が黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大御神、鼻から生まれた須佐之男命とともに重大な三貴神といわれています。
こちらもやっとお参り出来ました。

御朱印です。


猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行(みちひらき)になられた」と伝えられています。天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。-HPより-

方位石=古殿地
拝殿正面に昔の神殿跡を印し、方角を刻んだ八角の石柱があります。昭和11年の御造営まで永く御神座のあった特別な場所です。大神の「みちひらき」の御神徳を表す八角形の石には、願いを掛けてお賽銭がいっぱいです。

御朱印です。

左瑠神社御朱印です。
2Dayのバスフリーパスを買って移動しましたが、京都や金沢と違ってチョット不便・・・。
バスの本数が少ないのと、わかり辛いと、携帯で時刻を検査すると合わないことが多かったです。満員で乗れないことも・・・。
じっくりお参りしたので、1時間オーバーとなってしまい、2時半頃おかげ横町で腹ごしらえ。
すでに2万歩近く歩いています。
次回へ続きます<(_ _)>

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Last Modified : 2022-11-28