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2012-11-03 (Sat) 09:28

高野山2012 壇上伽藍(二)

災害後の心ケア関連ブログ 心に不安や異変を感じる方ご覧になってみて下さい。
自立支援医療 埼玉県HP 心のお病気で通院されている方、ご覧下さい。

昨日の続きの壇上伽藍です。

こうやさん12 
宿坊をいたしました、恵光院さんです。
こうやさん79 恵光院ご朱印  こうやさん80 恵光院毘沙門天ご朱印
写真左が恵光院さんのご朱印で、右が七福神の一つ毘沙門天のご朱印です。

こうやさん58 熊谷寺
熊谷寺は金剛寺の親寺です。桓武天皇(かんむてんのう)の皇子である
葛原親王(くずはらしんのう)により、837年創建されました。
初代住職は弘法大師(空海)の孫弟子にあたる真隆阿闍梨(しんりゅう
あじゃり)になります。
福徳円満を大切とする「高野七福神」の一ヶ寺でもあり、法然上人(ほうねん
しょうにん)、親鸞上人(しんらんしょうにん)、熊谷蓮生(くまがいれんしょう)
のゆかりの熊谷寺は、幾度かの類焼にあいながらも、再建をかさねました。

こうやさん83 熊谷寺ご朱印  こうやさん84 熊谷寺ご朱印

こうやさん57 熊谷寺
こちらは七福神の布袋尊です。

こうやさん 女人堂
女人堂です。
高野山は密教の修行道場として開かれたため、開創以来、長く女人が入ることを
拒んできました。明治5年(1872)になると、全国の神社や仏閣の女人禁制が解か
れることになりました(太政官布告)。
ところが高野山は、女性が山内で居住できるには明治38年(1905)まで、ゆっくりと
時間をかけて解いていくことになります。
昔は七つあった登り口すべてに、女人堂があったようですが、現在はここ一ヶ所と
なっています。

こうやさん85 女人堂ご朱印

高野山家康霊屋
寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立されました。
一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでおり
向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎と
なっています。一部改修中で職人さんがたくさんいらしたので写真は
去年のものです。

こうやさん86 徳川家ご朱印
ご朱印は、徳川家と書くようですね。

こうやさん64 浪切不動尊
本尊浪切不動明王は、弘法大師の御自作であり御守本尊です。
弘法大師が唐からの帰国途中、船が難破しかかったとき、師の恵果和尚
から授かった霊木に大師自ら一刀三礼されて刻まれた「不動明王」に
祈念申し上げると、その不動尊は、大火炎を発し、右手に持つ「利剣」で
波を切り裂いて船を安全に導いたといわれています。
その伝説の浪切不動明王は、全国に多く祀られていますが、浪切不動明王
の元祖はここ高野山南院(浪切不動尊)におまつりされています。

こうやさん87 浪切不動尊ご朱印

こうやさん63 普賢院
高野山のほぼ中央に位置する普賢院。その始まりは太治年間(十二世紀)です。
ご本尊の普賢菩薩は、弘法大師の十大弟子の一人か華厳寺道雄の作で、弘法
大師が点眼されたといわれております。

こうやさん62 摩尼殿
普賢院の摩尼殿には、地下にお釈迦様のお骨がお祀りしてあるそうです。

こうやさん88 普賢院ご朱印
普賢院のご朱印です。

さて、長々と高野山をご案内いてきましたが、今回の旅は
これにてお時間となりました。
美味しい精進料理を頂いて、名残惜しく帰路へとつくのでした。
高野山の寺院数は、金剛峯寺をはじめ117か所あります。
それぞれのお寺が、宿坊をされています。

今回は、心を無にする事と、ご朱印を頂くという目的もありました。
最後まで読んでくださった方、長々とお付き合い頂きましてありがとうございます。






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Last Modified : -0001-11-30

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