災害後の心ケア関連ブログ 心に不安や異変を感じる方ご覧になってみて下さい。
自立支援医療 埼玉県HP 心のお病気で通院されている方、ご覧下さい。
今回の、高野山でご朱印を頂くことも一つの目標でありましたので
壇上伽藍を前回より少し詳しくと、ご朱印をご紹介します。

金剛峯寺の入り口です。

真言宗総本山として、一切の宗務を司る社務所があります。

こちら(写真左)の御朱印帳は開創以来1200年護り続けられてきた
高野山の森から産出された高野霊木(ヒノキ)を使用した御朱印帳
です。題字は弘法大師空海の集字だそうです。
写真右は、金剛峯寺のご朱印です。

蟠龍庭です。我国最大の庭で雲海の中で一対の龍が、奥殿を守って
いるように表現されているそうです。

根本大堂と庭の噴水です。
空海は高野山創設にあたって根本大堂を真言密教の根本道場として
高野山の中心に考えたそうです。
高さ48,5mで陽光に輝く朱色と金色の大堂は圧倒的な迫力があります。

写真左は根本大堂で右は金堂のご朱印です。

高野山の中心、総本山金剛峯寺の門前にある菩提所常喜院は
弘法大師の第一高弟であられた道光大師実恵上人の開基です。


霊宝館の紅葉を見ながら次の場所へ・・・。

今回、補修工事でシートが掛かっていましたので、昨年の写真です。
金剛三昧院は、約800年前に鎌倉時代の尼将軍と言われた北条政子が
夫源頼朝菩提の為に創建されました。
当時頼朝の念持佛であった愛染明王を本尊と崇め、多くの人の熱い
信仰によって支えられてきたお寺です。
境内の建造物は国宝・重要文化財といった国指定の文化財も多く開山
当時の面影を残しています。


苅萱道心(かるかやどうしん)と石道丸(いしどうまる)の悲話に
由来するお堂で、出家した苅萱道心が庵を結んだところです。
石童丸が十四歳のとき、母と共に父に会うため高野山に向かい学文路の
宿まで来ますが、そこから先は女人禁制の地。
母を宿に残し、石童丸だけが高野山に登り、父を探している時一人の僧と
出会います。
石童丸の話を聞いた僧は、「その尋ね人はもうこの世にはいない」と告げます。
この僧こそ、苅萱道心と名を変えた石童丸の父親だったのです。
父を探すのを諦めて、母の所に戻りますと母千里は急病で亡くなっていました。
石童丸はなすすべも無く、再び高野山に戻り顔見知りになった苅萱道心の弟子
となりますが、苅萱道心が父と名乗ることは無く、一生知らぬままに生涯を送った
のでした。というお話がすべて映像を見るように大きな額に描かれています。

苅萱堂ご朱印です。
この続きがありますが、長くなりましたので次回にいたします。
いつも1ポチありがとうございます
。
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今回の、高野山でご朱印を頂くことも一つの目標でありましたので
壇上伽藍を前回より少し詳しくと、ご朱印をご紹介します。

金剛峯寺の入り口です。

真言宗総本山として、一切の宗務を司る社務所があります。


こちら(写真左)の御朱印帳は開創以来1200年護り続けられてきた
高野山の森から産出された高野霊木(ヒノキ)を使用した御朱印帳
です。題字は弘法大師空海の集字だそうです。
写真右は、金剛峯寺のご朱印です。

蟠龍庭です。我国最大の庭で雲海の中で一対の龍が、奥殿を守って
いるように表現されているそうです。


根本大堂と庭の噴水です。
空海は高野山創設にあたって根本大堂を真言密教の根本道場として
高野山の中心に考えたそうです。
高さ48,5mで陽光に輝く朱色と金色の大堂は圧倒的な迫力があります。


写真左は根本大堂で右は金堂のご朱印です。

高野山の中心、総本山金剛峯寺の門前にある菩提所常喜院は
弘法大師の第一高弟であられた道光大師実恵上人の開基です。



霊宝館の紅葉を見ながら次の場所へ・・・。

今回、補修工事でシートが掛かっていましたので、昨年の写真です。
金剛三昧院は、約800年前に鎌倉時代の尼将軍と言われた北条政子が
夫源頼朝菩提の為に創建されました。
当時頼朝の念持佛であった愛染明王を本尊と崇め、多くの人の熱い
信仰によって支えられてきたお寺です。
境内の建造物は国宝・重要文化財といった国指定の文化財も多く開山
当時の面影を残しています。


苅萱道心(かるかやどうしん)と石道丸(いしどうまる)の悲話に
由来するお堂で、出家した苅萱道心が庵を結んだところです。
石童丸が十四歳のとき、母と共に父に会うため高野山に向かい学文路の
宿まで来ますが、そこから先は女人禁制の地。
母を宿に残し、石童丸だけが高野山に登り、父を探している時一人の僧と
出会います。
石童丸の話を聞いた僧は、「その尋ね人はもうこの世にはいない」と告げます。
この僧こそ、苅萱道心と名を変えた石童丸の父親だったのです。
父を探すのを諦めて、母の所に戻りますと母千里は急病で亡くなっていました。
石童丸はなすすべも無く、再び高野山に戻り顔見知りになった苅萱道心の弟子
となりますが、苅萱道心が父と名乗ることは無く、一生知らぬままに生涯を送った
のでした。というお話がすべて映像を見るように大きな額に描かれています。

苅萱堂ご朱印です。
この続きがありますが、長くなりましたので次回にいたします。

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Last Modified : -0001-11-30