災害後の心ケア関連ブログ 心に不安や異変を感じる方ご覧になってみて下さい。
自立支援医療 埼玉県HP 心のお病気で通院されている方、ご覧下さい。
奥の院の御廟と、供養塔について少しご説明します。
弘法大師空海は、20歳で出家し31歳で唐に渡り正当密教を極め
遍照金剛の称号を得、帰国して真言密教を各地に広めました。
当時の帝、嵯峨天皇より高野山を賜り弟子と工人を多数伴って
登山し、開創に着手します。
これが高野山金剛峯寺のはじめといわれています。
弘法大師は、62歳かねて予言していました通り入定され即身成仏を
とげられました。
『わたしは去る天長九年十一月十二日から五穀をとらずに専ら
座禅をたのしんできた。これはみな仏法を長く持続させるための
良策でありまた末世の弟子や宗門の門徒のためである。
弟子らよ、明らかに聴けよ。汝らは謹んで教法を守れよ。
わたしが禅定に入るのは来る二十一日の午前四時である。
(中略)
わたしが眼を閉じた後にきっと覩率陀天に往生して弥勒菩薩の
御前に侍するであろう。
そして五十六億余年の後に慈尊のおともをしてこの世に生まれて
自分の旧跡を訪ねよう。』 と弟子たちに遺告されたそうです。
一の橋から御廟まで約2㎞、老杉の茂る奥の院参道には皇室・貴族
関係を始め、法然、親鸞などの各派の開祖、上杉謙信、武田信玄
伊達正宗、豊臣一族などの名高い戦国武将、江戸時代には大名、文人
庶民にいたるまであらゆる階層の人々が、供養塔を建立しました。
その数は、2万基を越えるといわれています。
「ありがたや 高野の山の岩陰に 大師はいまだおわしまするな」という
ご詠歌に見られますように、弘法大師は今日でもここにおられるという
信仰です。
大師様のおそばにいたいと、たくさんの方々がこの奥の院に供養塔を
今も建てられているのです。
まだ出来あがっていませんでしたが、東日本大震災の供養塔が建て
られる場所がブルーシートで覆われていました。

何やらたくさんの足音と思いましたら、お坊さんたちが足早に・・・。

御廟に向かわれています。御廟橋から先は撮影禁止です。

お坊さんたちと一緒に、御廟の前でお教を聞きながら参拝。

足早に戻ってきました。

ここでも、お経を唱えられます。
さて、今回の高野山での目的にご朱印を頂くことにありました。
1日目に壇上伽藍でも頂いているのですが、まずは奥の院から
ご紹介します。

奥の院ご朱印です。

こちらは、ご詠歌を書いて頂きました。
「ありがたや 高野の山の岩陰に 大師はいまだおわしまするな」
です。
さて、明日は壇上伽藍でのご朱印をご案内いたします。
いつも1ポチありがとうございます
。
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奥の院の御廟と、供養塔について少しご説明します。
弘法大師空海は、20歳で出家し31歳で唐に渡り正当密教を極め
遍照金剛の称号を得、帰国して真言密教を各地に広めました。
当時の帝、嵯峨天皇より高野山を賜り弟子と工人を多数伴って
登山し、開創に着手します。
これが高野山金剛峯寺のはじめといわれています。
弘法大師は、62歳かねて予言していました通り入定され即身成仏を
とげられました。
『わたしは去る天長九年十一月十二日から五穀をとらずに専ら
座禅をたのしんできた。これはみな仏法を長く持続させるための
良策でありまた末世の弟子や宗門の門徒のためである。
弟子らよ、明らかに聴けよ。汝らは謹んで教法を守れよ。
わたしが禅定に入るのは来る二十一日の午前四時である。
(中略)
わたしが眼を閉じた後にきっと覩率陀天に往生して弥勒菩薩の
御前に侍するであろう。
そして五十六億余年の後に慈尊のおともをしてこの世に生まれて
自分の旧跡を訪ねよう。』 と弟子たちに遺告されたそうです。
一の橋から御廟まで約2㎞、老杉の茂る奥の院参道には皇室・貴族
関係を始め、法然、親鸞などの各派の開祖、上杉謙信、武田信玄
伊達正宗、豊臣一族などの名高い戦国武将、江戸時代には大名、文人
庶民にいたるまであらゆる階層の人々が、供養塔を建立しました。
その数は、2万基を越えるといわれています。
「ありがたや 高野の山の岩陰に 大師はいまだおわしまするな」という
ご詠歌に見られますように、弘法大師は今日でもここにおられるという
信仰です。
大師様のおそばにいたいと、たくさんの方々がこの奥の院に供養塔を
今も建てられているのです。
まだ出来あがっていませんでしたが、東日本大震災の供養塔が建て
られる場所がブルーシートで覆われていました。

何やらたくさんの足音と思いましたら、お坊さんたちが足早に・・・。

御廟に向かわれています。御廟橋から先は撮影禁止です。

お坊さんたちと一緒に、御廟の前でお教を聞きながら参拝。

足早に戻ってきました。

ここでも、お経を唱えられます。
さて、今回の高野山での目的にご朱印を頂くことにありました。
1日目に壇上伽藍でも頂いているのですが、まずは奥の院から
ご紹介します。

奥の院ご朱印です。

こちらは、ご詠歌を書いて頂きました。
「ありがたや 高野の山の岩陰に 大師はいまだおわしまするな」
です。
さて、明日は壇上伽藍でのご朱印をご案内いたします。

いつも1ポチありがとうございます

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Last Modified : -0001-11-30